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コラム「日本では父親が子育てのために仕事の時間を減らせないのはなぜか」
サイトウ 2014.01.06

父子「一体感」のワナ

子どもと一緒に過ごす時間が長い親の方が、一体感が弱い!?

父親も母親も、子どものお世話をすることで、愛着が生まれ、ますます可愛く感じる、ということは経験的にも納得しますよね。
でも、これって、子どもとの「一体感が強いから」なのでしょうか?
 
多くのみなさんは、親が子どもに愛情や愛着をもつことは、親子の一体感を強めると思うかもしれません。
ところが、意外なことに、子どもと過ごす時間が長い親の方が、子どもとの一体感が弱いという研究結果があるのです。

子どもたちは、それはもうささいなことでも「わたしの自主性を尊重して!」と親に迫ってきますよね。赤ちゃんの頃はとにかく泣いて「抱っこして!」「ミルクちょうだい!」と要求し、2歳くらいになれば「自分でくつをはく!」「自分で歩く!」と自分の意志を主張します。
できるだけ子どもの自主性を尊重したくても、出勤前の1分を争うときには、子どもの意志と大人の都合が対立することはたびたびです。

子どもへの愛情や愛着はあっても、子どもが自らのニーズを強く主張するとき、しかも、子どものニーズと親のニーズとが対立するとき、愛する子どもは「自分とは違う人間」として「対立する存在」でもあることを強く感じるのです。子どもと過ごす時間が長いほど、対立を感じる機会も増えてしまう。それが、母と子の「一体感」が弱い理由です。

しかし、子どもの世話に関わる時間が短い父親は、こうした葛藤をあまり経験しません。そのため、子育てに関わらない父親ほど、「一体感」が母親以上に強いのというのです(柏木・若松1994)。

一体感の強さは、「子どもを愛する」というより、親の「自己愛」!?

え?「一体感=愛情ではないの?一体感が強くて、何か問題があるの?」と思う方もいるでしょう。

親子のニーズが対立するとき、親は「なぜこの子にはできないのか」「なぜ言うことを聞かないのか」と思ってしまいますよね。

子どもに関わることが多い親であれば、そんな場面でも「この子は自分で納得しないと動けないんだ」「今はおなかが減ってるからダダをこねてるんだな」と目の前の子どもの存在から、その理由を導きます。

でも、子どもとのかかわりの短い親は、「目の前の子ども」ではなく、漠然として抽象的な「自分の分身としての子ども」を想定してしまい、そこから「自分にはできることが、なぜこの子にはできないのか?」という理由をさがしてしまいがち。
一体感の強さは、「子どもを愛する」というより、親の「自己愛」に通じるものでもあるのです。

親子であっても、「親」と「子ども」は別の人格をもつ人間同士。
子どもの世話にかかわることは、子どもを一人の人間と認め、その意思を尊重しようと親自身も納得していくプロセスなんですね。

男性が子育てにかかわることは、「自分とは異なる人間」への尊厳に気づく、大事なプロセスでもあるのです。

注)柏木・若松(1994)では、「子どもは自分の分身である」と感じるかどうかについて「分身感」という言葉を用いていますが、このコラムでは、「親が、子と自分を同一視し一体だと感じる」ことを重視し、「一体感」と表現しています。

[引用・参考文献]

柏木惠子・若松素子1994「『親となる』ことによる人格発達――生涯発達的視点から親を研究する試み」『発達心理学研究』第5巻第1号 ,72-83
柏木惠子2011『父親になる、父親をする――家族心理学の視点から』岩波書店

齋藤早苗
東京大学大学院総合文化研究科修士課程在学中。実は小学生2人の母、40代。 
進学のきっかけは、2人目を出産した後の、体調不良と仕事の両立のつらさでした。
「なぜ働きながらの育児はこんなにたいへんなんだろう?」こんな素朴な疑問からはじまった研究生活。
現在は「日本では、父親が子育てのために仕事の時間を減らせないのはなぜなのか」について取り組んでいます。

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